光明寺 佐光慈豊和尚のテレホン法話
義理と人情(平成18年4月号)
- 前橋市の郊外二里程の赤城山麓に、嶺(みね)公園墓地がある。
昨年の暮れ2回程、この墓地へ納骨の為訪れる事となった。
「上州(じょうしゅう)勢多郡(せたのごおり)木瀬村(きせむら)は・・・・」と時代小説に書かれているとおり、昔は貧農の代表的地名で、農家の次三男坊は食い詰めて村を逃げ出した。
そんな流人(るにん)を一宿一飯の恩義で拾ったのが忠治親分だった。
関所破りで追われた忠治は、子分達を集めて「赤城の山も今宵限りだ・・・・」と見栄を切って子分達と別れた台詞(せりふ)が、新国劇の名場面となっている。
貧しさが義理も生活(なりわい)も成立させないことは今も昔もかわりはない。
反面、豊かさが義理や恩義を失わさせているのが現代であろう。
昨年の総選挙で沢山の若手議員を作って大勝した自民党は、幹事長が彼らを招待して一本刀土俵入りの芝居を観せたと云う。
これも上州駒形の宿場で、飯盛(めしもり)女から恩義を受けた力士の茂兵衛が、後年その女の為に命を賭けた恩返しをすると云う芝居である。
共に上州人であることが、群馬を保守王国にしている所以(ゆえん)なのだ。
納骨の後、赤城山麓を離れる途次、車窓から氷の張った池が見えた。
忠治が小松五郎義兼の名刀を浄めた万年溜はこれかと思いつつ感慨に耽っている間も無く、バスは市内の某ホテルについた。
此所で四十九日忌の忌明けの宴を催す予定なのである。
施主の挨拶に続いて住職の法話、続いて遺影に献杯、これが光明寺の方式なのである。
私の法話は、先程納骨したばかりの嶺公園墓地の歴史は、義理人情発祥の地であることを話し、忠治の頃の貧しさを思うと、今が如何に幸せであるかを問うた。
その結果親族一同和気あいあいの宴となり、悲しみを乗り越えた幸福感が会場に満ち溢れた。
“男ごころに男が惚れて意気が溶け合う赤城山”マイクを握った私は、この「名月赤城山」の歌で、一同に忘れかけている義理人情の世界を想起させた。
私は着任以来、数百名の方をあの世に送っている。生前些細なことでも私と関係の無い人はいない。
どんなことでもご縁として心の絆で結び葬儀を営んでいる。
檀徒とは義理人情世界なのである。
武部幹事長が若い議員に理解して貰うには、日常生活の中でのスピリチュアルケアが大切だと知るべきであろう。
南無大師遍照金剛