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2008年3月15日更新

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水子供養について(平成18年8月号)

 皆さんは、道端や田圃中にひとりポツネンと立っているお地蔵さんを見たことがあるでしょう。

 雨に濡れても、頭に鳥の糞かけられても、いつもニコニコ。

 他の仏様に比べて何となく親しみやすい感じがしますね。

 地蔵経の中にはこう書いてあります。

 「地蔵菩薩は、出家修行して成仏を求めず、自ら六道脳化となって苦しみの中の衆生を済度す」。

 そして、「最も苦しみの世界たる地獄の、しかもどん底を自分のすみかとす」とまで願われているのです。

 いま聞こえてくる地蔵和讃の意味は、「年端もゆかぬ子供が死ぬと、賽の河原で石を積みながら、娑婆に残してきた両親を慕い、恋し恋しと泣きながら、一重積んでは父の為、二重積んでは母の為、三重積んでは兄弟同朋の為」と一心に回向している。

 すると鬼が現れて、「やれ汝らは何をする、娑婆に残りし父母は追善作善の勤めなし・・・親の嘆きは汝らが苦験を受ける種となる・・・」と、持っていた金棒で押し崩すこと数回。

 そこへ脳化の地蔵様がゆるぎいでさせ給い、「我を冥途の父母と思うて明け暮れ頼めよ」と、泣き叫ぶ子供たちを、「裳裾の内にかき入れさせ、錫杖の柄に取りつかせ、慈悲のみ肌に抱きかかえて撫で擦り、哀れみ給う」と云うくだりです。

 なんと可哀そうではありませんか。

 生まれていれば無限の可能性を持っていたのに、親の身勝手から、無明の闇に葬り去られた子供たちなのです。

 まだ眼も見えず、耳も聞こえない中有常夜という闇から救う道はただひとつ、親たち自らの手で供養してあげるしかありません。

 この地蔵和讃は、物質文明の豊かさに酔いしれている私たちの心を、ハッと呼び醒ましてくれるものがあります。

 水子供養をしてあげましょう。

 それは、自らを救い自らを開眼するキッカケとなるに違いありません。

南無大師遍照金剛