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2008年3月15日更新

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衆生の恩(平成18年11月号)

 さて、前回に続き四恩の中の衆生の恩についてお話します。

 弘法大師は59歳の時、高野山で万燈会を修せられ、その願文で「虚空つき、衆生つき、涅繁つきなばわが願いもつきん」と申されております。

 その意味は「この世がある限り、また迷える衆生がある限り、私はこの世に留まって衆生を済度しよう」というご誓願であります。

 このように大師は今でも衆生の幸せを念じて、私達が働いている時も、車を走らせている時も、遊びに夢中になっている時も、等しく私達と共に苦しみ共に悲しんでおられるのであります。

 従って、衆生つまり世の中の恩ということは、大師の救いを体得することによって初めて分かるのであります。

 終戦後間もなく、官公労が一丸となって政府に対しゼネストを挙行する一歩手前でGHQの勧告により中止したことがあります。

 所謂二・一ストです。

 教員になりたての私もストに参加したため、失望と挫折感にうちのめされました。

 この先どうなるのか、世の中を信じて行けるだろうか。そう思った時、私は仲間と三人で修行行脚の旅を思い立ちました。

 群馬県上野村から山越えで信州に行き、善光寺まで四泊五日の旅です。

 私は托鉢姿で門付けを、仲間の二人は紙芝居をしながらの無銭旅行でした。

 このまま行き倒れになって死んでも悔いはないという覚悟でしたが、途中で沢山の温かい人情の機微に触れたことで、もう一度世の中を信じて、やり直そうという気持ちになることができたのです。

 これこそお大師様と同行二人のおかげ、身を捨ててこそ衆生の恩を知ることができたのだと悟った次第でございます。

南無大師遍照金剛