光明寺 佐光慈豊和尚のテレホン法話
見えないものへの気付き(平成19年8月号)
- もう15年以上前になりますか、地元中学校から講和の依頼がありました。
全校生徒に宗教の話を聞かせることは、当時の校長先生としては相当の決断を要したと思われますが、校長には週1回50分の校長裁量の時間があるとの説明で、以心伝心私も法衣をまとって出講しました。
先ず、校長先生から私の紹介があり、確か「将来の夢と生き方」と云う題で話をしたと思います。
当時はカッコイイが若者の流行語で、人は内容より外見によって評価され、その結果としていじめや落ちこぼれが教育問題となっていました。
そんな時期に「自分だけがいい子になるな。人間は誰しも欠点や不得意を持っている。
だから人それぞれに違いがあることを認めよう。
オ−ル5をめざすよりも、今があることに感謝することが大切なのだ」と話を締めくくったと思います。
生徒は水を打ったような静けさで、私もいささか驚きましたが、校長先生は「まだ遠慮がちな説明でしたね。
でも生徒があんなに静かに聴いていたとは珍しいです。
きっとふだん聞きたかった話だったからでしょう」と評価して下さいました。
数日後、ある父兄から電話があり、「うちの子がお蔭様ですっかり変わりました。毎朝仏壇にお線香をあげてから登校するようになったので、理由を聞くと、和尚さんの話を聞いて、今こうして勉強できるのも先祖さまのお陰だと云うのです。」とのこと。
自己中心が若者の特徴の筈なのに、何かのきっかけさえあれば目に見えないものにも気付くものだと、私の方からお礼を申し述べた次第です。
教育は制度ばかりを変えてよい効果を得ようとしていますが、根本的な理念の追究を忘れているから、具体的な問題解決が出来ないのではないかと思います。
南無大師遍照金剛