第七十二番霊場
大悲山 観音寺(かんのんじ)
−塩船観音−
【 真言宗醍醐派 】
本尊 十一面千手千眼観世音菩薩
真言:おんばざらたらまきりく
御詠歌:わすれずも みちびきたまえ かんぜおん ぐぜいのふねに のりていたらむ
- 昭島の宮沢をあとに福生・羽村を経て奥多摩街道で青梅へ入る。
街中の手前川辺より北へ向かって観音寺のある塩船へ。
寿永三年(1184)の仁王門から老樹におおわれた参道を登ると室町時代の阿弥陀堂、そして杉の大樹から薬師如来と共に弘法大師奉安の薬師堂より石段を登りつめれば室町末期の五間四面、一重、寄棟造り芽葺の観音堂(本堂)がある。
寺伝によれば大化年間(645〜50)若狭の八百比丘尼がこの地に千手観世音を奉安したのにはじまり、天平年間(729〜48)に僧・行基が留錫して諸堂を建立し、周囲が小高い山にかこまれ、船の形に似ていることから、仏が人々を救おうとする大きな願いの船−弘誓の船−になぞらえて塩船と名づけた。
貞観年間(859〜76)には僧・安然が杉本坊をはじめ十二の坊を建立し、寺運は盛んであった。鎌倉時代には武蔵七党の村山覚の流れをくむ金子十郎家忠が深く帰依し、その一門の信仰も厚く、大檀那として寺を支えた。
また、室町時代には三田氏とその一族が荘厳具や伽藍に修築浄財築に浄財を喜捨している。
境内に散在する堂宇やそこに奉安の尊像はいずれも国や都の重文に指定され、歴史文化の宝庫といえる。
また「花の寺」としても知られ、春は一万七千本の「つつじ」「あじさい」、夏の「百日紅」、秋の「萩」と季節の色を添え、参詣の人々の心を豊にしてくれる。
納経堂は観音堂前の祈祷申込所にある。
参詣受入の設備も完備し、中食などとれる休憩所や売店もあるのでへんろ道中の休憩には最適なところ。