特別霊場
雨引山 楽法寺(ほうらくじ)
−雨引観音−
【 真言宗豊山派 】
本尊 延命観世音菩薩
真言:おんあろりきゃそわか
御詠歌:へだてなき ちかいをたれも あおぐべし ほとけのみちに あまびきのてら
- 筑波山を左に拝みながら柿岡より上曽峠を越えて真壁町へ。
ここから右に折れて大和、岩瀬方面へたどると右に加波山、つづいて海抜409メートルの雨引山がある。
雨引の名は弘仁十二年(821)旱魃で飢饉にあった時、嵯峨天皇の勅命によって雨を祈ったことから名づけられたと伝えている。
雨引山楽法寺は山の中腹にあり、境内に隣接する福祉センター「あまびき」の前に大駐車場があるので車なら急な参道石段を登らずして容易に参拝できる。
ここは坂東観音霊場第二十四番の札所。
かつて観音巡礼たちは樹木の中の苔むした石段を登り、真壁城主が大手門をここに移したという薬医門とよばれる室町末期の豪壮な黒門をくぐり、さらに仁王門への石段をたどった。
建長年間(1249〜55)建立の仁王門には運慶作と伝える仁王像が安置され、天正三年(1575)には真壁城主真壁房幹が大修理したという。
参道には不動堂・竜杉・鐘楼堂などもあり、右手には元盛上人が築いた城址をおもわせる石垣がある。
仁王門先には宿借りの椎の大樹がある。
文明年間(1469〜86)の災火のとき、本尊自らこの椎の下に難を避け一時の宿にしたと伝えられている。
この先には延命水といわれる清水も湧出ている。石段を登りつめると、入母屋造り瓦葺、長押上の各部は朱塗りの八間四面の本堂がある。
用命天皇の御代(586)に、中国梁の帰化僧・法輪独守居士が開創し、ご本尊の延命観世音は法輪独守居士が棒持し、当山に安置したという。
そして推古天皇の病気平癒を祈願し、効験あって祈願寺となり、後に光明皇后は自身の安産祈願のため、法華経一巻を書写して奉納した。
以来皇室の安産子育の祈願所となって「安産の観音さま」で知られるようになった。
ご本尊の延命観世音は秘仏で尊容を拝することはできないが、お前立観音像を拝することはできる。
薄暗い堂内は、古刹にふさわしい荘厳さがただよう。
古くは足利氏や真鍋氏の支持があり、近世では国学者の恵岳や性相学者の恵隆らの名僧が出て多くの信仰をあつめ、百五十石の御朱印地を有し盛んであった。
近年も前住職川田聖見師は真言宗豊山派の管長をつとめている。
本堂左手に江戸末期建立の多宝塔がある。納経所は本堂前の絵馬堂にあり、休憩所もある。
ここからの眺めはすばらしい。
関東平野が一望できる。
毎年四月にはマダラ鬼神祭とよばれる厄災開運の祭りがおこなわれ、参詣者で賑わう。
また、このころ「関東の吉野」と称されるほど見事な桜の開花によって色を添える。
路もこのころを選んで参拝することをおすすめしたい。