特別霊場
金剛山 平間寺(へいけんじ)
−川崎大師−
-大本山-
【 真言宗智山派 】
本尊 厄除弘法大師
真言:南無大師遍照金剛
御詠歌:ありがたや なむやくよけの へいけんじ だいしのちかい あらたなりけり
- 「川崎大師」で知られ大師信仰では日本一の参詣者のある平間寺。
群馬・高崎を打ちはじめに七十ヵ寺あまり、大師とともに同行二人でたどってきた遍路も、この壮大な伽藍を目の前にしておおらかな大師の御心を感じる。
昭和五十二年建立の大山門を入り、正面にある昭和三十九年建立の入母屋作り瓦葺、二層の大本堂へすすむ。
堂内には厄除弘法大師の尊像が奉安されている。
寺伝によれば、大治年間(1126〜31)尾張の武士・平間兼乗は無実の罪で故郷を追われ諸国を流浪のすえ川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして生活をしていた。
信仰深い兼乗は大師に帰依していたが、四十二歳の厄年になっていたので日夜厄除の祈願をしていたところ、ある夜夢枕に高僧があらわれ「我むかし唐に在りしころ、わが僧を刻み、海上に放ちしことあり、己来まだ有縁の人を得ず、いま汝速やかに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ばさば、汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げた。
兼乗は早速海に出て網を投げ海中より一躰の木像を引揚げた。
それは弘法大師の尊像であった。
兼乗は不思議なご縁をよろこび草庵を結んで尊像を安置し、日夜供養をおこたらなかった。
当時高野山の僧・尊賢が諸国巡錫の折、たまたまこの草庵に留まり尊像を拝して感泣し、自ら開山となり兼乗と力をあわせ、大治三年(1128)堂宇を建立し尊像を奉安して兼乗の姓をとって平間寺とした。
保延年中(1135〜40)には鳥羽天皇の祈願所にもなり、その後徳川家斉・家慶・家定・家茂が厄除祈願に参拝し、厄除大師の信仰は広く知られるようになった。
一万坪の広大な境内には大本堂をはじめ不動堂・八角五重塔・自動車交通安全祈祷殿・遍路大師像・新四国霊場お砂踏場・大本坊・信徒会館・中書院・鐘楼などが建ち並ぶ。
参拝後納経がすんだら門前仲見世で名物の久寿餅・切り飴・ダルマなどを求めることができる。